2005年03月29日

1979年秋季大会(4)

県大会の1回戦は、川和(横浜)と対戦。
先発は加藤。スタメンは、
9 松本
7 宮田
8 あさちゃん
5 黒島
6 金沢
2 伊藤
3 徳田 
1 加藤
4 押坂
と、走る1〜3番作戦。
初回から、先頭松本内野安打。二番宮田の2球目に二盗。宮田はレフト前ヒットで一・三塁。3番僕の初球に宮田が二盗。ダブルスチールを恐れて、相手側は動かず。そして、僕のスクイズで1点先制。続く、黒島レフトへ犠牲フライで計2点。
3回も先頭松本四球。宮田の初球に二盗敢行。宮田が三塁に送って、続く僕がライト前タイムリー、4番黒島の2球目に二盗。黒島のセンター前タイムリーで生還。この回+2点。続きを読む
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2005年03月28日

1979年秋季大会(3)

その佐藤 真が先発した東海大相模戦。
1回表徳田は東海大相模打線を三者凡退に。
その裏、先頭松本、2番宮田と連続三球三振。3番の僕は、2球続けて空振りの後の3球目、やや高かったがかろうじてファール。4球目フォークに空振り三振。二回以降も三振の山を築く。
一方、徳田も真に当てられながらも、バックの攻守に助けられ、六回まで無失点。
試合が動いたのは、7回表。ここまで好投を続けて来た徳田の高めに浮いたストレートを佐藤真がホームラン、一点先制される。続きを読む
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2005年03月27日

1979年秋季大会(2)

光明相模原に大勝した後は、伊勢原の向上高校と対戦。
徳田が先発。ファーストには山村が入る。
この試合も、初回から走る1〜3番が機能。相手投手の出鼻をくじき、3点先制。2回にも2死から走る1〜3番で2点追加。4回・6回・8回に1点ずつ追加して、徳田も1失点で104球完投。8−1で勝利。

次は、県央地区の最強豪「東海大相模」と対戦。
中学時代のチームメイト佐藤 真は4番サードで、控え投手のはずが、
厚高戦では先発してきた。
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2005年03月26日

1979年秋季大会(1)

9月に入ると秋季大会が始まった。
まず、県央地区大会。初戦は光明相模原戦。
先発は加藤。スタメンは、
9 松本
7 宮田
8 あさちゃん
5 黒島
6 金沢
2 伊藤
3 徳田 
1 加藤
4 押坂続きを読む
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2005年03月25日

1979年秋新チーム結成

夏の大会で負けた時点で3年生は引退。
2年生7名中心に新チームを作る。
監督は野球部OBで地元の自営業(時計店)の方にお願いしているが、顧問の牧野先生も含め、レギュラーの人選には口を出さなかった。
まず、部員の投票で黒島がキャプテンに選ばれた。
黒島は、僕と加藤を指名してメンバー案の提案をさせた。

<加藤案>   <あさちゃん案>
8 あさちゃん  9 松本
4 押坂     7 宮田
6 金沢     8 あさちゃん
5 黒島     5 黒島
2 伊藤     6 金沢
3 徳田(山村) 2 伊藤
7 宮田     3 徳田 
1 加藤(山村) 1 加藤・山村
9 松本     4続きを読む
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2005年03月24日

1979年夏の大会(2)

4回戦で、屈指の左腕:宮城幸二郎のいるY高(横浜商)と対戦。
最初から、実力の差を思い知らされる。
初回表、先発の徳田はY高の1番から3番までに連打され、無死満塁のピンチ。
そして、エースで4番の宮城にグランドスラムを浴び、4点を先制される。
厚高の攻撃陣は宮城にまったく歯が立たず、6回までノーヒット。
Y高は7回までに、さらに6点を追加し、10−0に。
7回裏、厚高が1点も取れなければそのままコールド負け。
そうはさせじと、先頭打者の僕は、粘りに粘ってフォアボールで出塁。
続く、押坂の初球に盗塁敢行。バントで三塁へ。
3番小野の当たりは浅めのライトフライ。
三塁ランナーの僕は、いちかばちかでタッチアップするも、本塁憤死。
0−10でコールド負け

4回戦(保土ヶ谷)
Y高 401 021 2|10
厚木 000 000 0|0
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2005年03月23日

1979年夏の大会(1)

夏の神奈川県大会参加校は180校。初戦は桐蔭学園と対戦。
初回先頭の僕が粘り四球で出て、続く押坂の初球に二盗。バントで送って、三番小野の犠牲フライで一点先制。
桐蔭学園は、一点くらいすぐ取り返せると思ったのだろうが、それが命取りになった。
先発加藤が好調で、7イニングを3安打無失点。それを8回から2番手山村にあっさりと交代。山村は、2イニングをノーヒットに抑えて、一対0で勝利。
次の茅ヶ崎北陵戦は、徳田が先発し、7イニングを1失点。その後山村につなぎ、打線が8回に3点を入れて逆転。3対1で勝つ。
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2005年03月22日

1979年新メンバー入部

1979年4月、新入生が10名入部。
その中に、林中の後輩伊藤(捕手)、南毛利中出身の山田(外野手)がいた。
その2人に加え、16人のベンチ入りメンバーには、
山村 仁(左投左打:投手−小鮎中)、松本 昇(投手・捕手以外はどこでも守れる・スイッチヒッターー座間東中)、中村雄二(内野ー大野南中)、東 次郎(捕手ー成瀬中)
が入った。続きを読む
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2005年03月21日

1978年秋びっくりする事件ばかり

陸上部から野球部に移った1978年秋、野球界は驚きの事件ばかり。

クラウン、西武に身売り。九州から野球チームが去る。

江川 卓空白の1日

阪神:球団史上初の最下位、オフには田淵幸一深夜のトレード通告

当時の僕は、タイガースに行かざるを得なかった小林 繁投手頑張れと思いつつ、部活と勉強の両立に頑張っていた。
幸いにして、家から学校まで自転車で10分と近くに住んでいたので、部活終わって、帰ってから食事。宿題とかは済ませてから早めに寝る。そのかわり、朝は5時に起きてDKで勉強。朝練はランニングのみ。という生活が維持できたから、成績も中の上くらいはキープできていた。
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2005年03月20日

野球部の危機

野球部は、1978年の夏の県予選で負けた時点で3年生は引退。
1・2年生(計21名)で新チームを作る。
ところが、新チームの運営をめぐって内部抗争がおき、暴行事件もあったりして、2年生5名、1年生8名が退部することになってしまった。
残ったのは、2年生の小松 明憲(厚木中)、藤原 豊(海西中)、小野 伸司(東名中)、1年生の徳田、黒島、押坂、加藤、金沢 真(相模台中)の8名。これでは対外試合に出られない。
そこで、野球部の顧問の牧原先生から陸上部顧問の森田先生(僕の担任)に僕の譲受の依頼があった。
僕は、坊主頭にならなくてもいいならという条件で野球部に移籍することにした。
また、中学野球経験者で当初フェンシング部に転向していた宮田続きを読む
posted by スーパーサウスポーあさちゃん。 at 21:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 厚木高校編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする