2005年03月18日

中学卒業

1978年3月、僕は林中を卒業し、地元の県立厚木高校へ進学。
仲間たちの進学先は、

<厚木高校>
あさちゃん、徳田、黒島、押坂、加藤

<東海大相模>
佐藤 真

<日大藤沢>
五島

<厚木北高校>
安西、酒田

厚木高校は地元の進学校で、野球はそれほど強いわけではない。
佐藤 真には、横浜高校からもお誘いが来たが、あこがれの野球選手が原 辰徳さん(東海大相模→東海大→巨人)ということもあって、東海大相模に進学。
五島は、親戚が日大藤沢のサッカー部の監督していた関係で。
安西、酒田は先輩がいない学校でやりたいと、新設の厚木北高校へ。
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2005年03月17日

1977年夏県大会

林中、南毛利中とも神奈川県大会に進出。
しかし、秋の新人戦で優勝した南毛利中もメンバーの分散で総合力の低下は否めない。
1回戦の久末中(川崎)に0−1で負け、黒島、徳田、加藤、酒田、安西の夏は終わった。

その分散先の林中は、佐藤真、五島らの新戦力を加えたものの、チームとしてのまとまりに欠けていた。
1回戦で愛甲 猛(後に横浜高校で全国制覇、ロッテに入団、今は行方不明?)のいる久木中(逗子)に0−2で、完全試合のおまけつきの敗退。
あさちゃん、佐藤真、五島の夏も終わった。
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2005年03月16日

1977年夏県央大会(3)〜決勝戦後編

6回表林中の攻撃。
先頭の橋本がデッドボールで出塁。
続く皆部が送って、一死二塁。
佐藤 孝もうまく送って二死三塁。
三回目の僕の打席。加藤の二球目を打ったがぼてぼての当たり。懸命に一塁まで走ったものの間一髪アウト、得点ならず。

その裏、佐藤 孝は一死を取った後、加藤を迎える。
加藤の当たりはセンターの僕の上を超え、飛びつくものの取れず、三塁打に。
ここでピッチャーを佐藤 真に交代。佐々木・山田を連続三振にとり、ピンチ脱出。

7回表、岡崎・五島凡退の後、4番佐藤 真、エンタイトルツーベース。伊藤もレフト前で続いたが、本塁で佐藤 真が憤死。得点ならず。

7回の裏決着はあっさりついた。
先頭の押坂が初球の高めのストレートをレフトスタンドへホームラン。
どちらかといえば、非力なタイプだったので油断していたのだろうか。

上位2チームが県大会へ出られることになっていたので、両校とも県大会へ。
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