背番号は、タイガース時代は51だったが、近鉄にトレードされた際気分一新のために7にして、それをパドレス時代も引き継いでいた。
ところが、オリックスでは7は旧阪急の世界一の盗塁王(当時)福本 豊さんの番号でイチローが引き継ぐことになっていたものの、イチローが断ったため、永久欠番になってしまった。年棒は5000万円+出来高最高1億円で契約した。
キャンプに入ってみると、調整遅れはてきめんだった。
ランニングをしてもすぐ息が切れるし、キャッチボールでも長続きしない。
ノックを受けても打球への勘が鈍っていた。
とにかくグラウンドを走り回った。休憩時間は他の選手の練習を見たり、ブルペンで打席に立ったり、夜は夜でビデオを見ながら、イメージトレーニングに努めた。
そうこうしているうちに、なんとか練習にもついていけるようになり、調子も戻ってきた。
そして、2月下旬の中日とのオープン戦では3番センターでスタメン出場し、3打数1安打。あとの2つの凡退も当たりはよかったから、調子は戻ってきているようだ。
一方、弟なおちゃんは1992年オフに松永選手との交換で、阪神からトレードされ、'93年には17勝で野茂(近鉄)と最多勝を分け合い、防御率1位になり、オリックス大得、阪神大損のトレードといわれた。'94年も16勝で最多勝のタイトルを取って、一番乗りにのっていた。当然開幕投手候補のナンバー1であった。
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