「もしもし、おとうさん。おりえとさゆり、、、」
その先は泣き出してしまって、声が出なかった。
「あさちゃん、亡くなってしまったものは仕方がない。これも運命だよ。」
「。。。」
「お前は野球のことだけ考えろ。拾ってくれたオリックスに感謝して、野球で結果を出せ。それがおりえとさゆりへの供養だ。」
「。。。」その日(18日)は、近くの駐車場にとめてあった僕のパジェロの中で寝た。
遺体は翌日被災者専用の回収車両で近くの火葬場に持ち込まれた。
その火葬場も大混雑。19日はそれで一日が終った。
20日は、自転車で苦楽園の弟の家と武庫川の両親の家を見に行った。
弟の家は、ブロック塀が崩れたくらいで、ほとんど無傷。武庫川のマンションも外壁が若干崩れていたものの、みんなそのまま住んでいたから大したことはなかったみたいだ。
21日からは、オリックスの独身寮に入った。
そこから、23日まで家の片付けや、避難所への差し入れをしたりして、24日に女房の実家へ帰り、25日に女房の身内だけで葬儀をした。
そして、キャンプインまでそこで自主トレ。
完全に調整遅れのまま、31日に宮古島入り。
キャンプが始まる。
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