伊丹空港は閉鎖。その日のうちに那覇から関空まで飛び、JRで大阪までは通常通り行けたのだが、ここから神戸方面が一苦労。阪急神戸線は不通。JRも福知山線、神戸線大阪−姫路間、新幹線の新大阪ー岡山間、そして阪神も全線不通でその日には神戸までにはたどりつけず、近鉄時代の同僚宅に泊まる。
翌18日その同僚の車で神戸入りしようとするが、大渋滞で甲子園あたりまで行くのにも4時間半(通常は1時間もかからない)。芦屋市から西は交通規制で許可車以外は入れない。
たまたま、その交通規制を担当していた警察官が野球ファンで僕と同僚の顔を知っていたので、許可はすぐ下りたのだが、結局7時間かかって神戸市東灘区の自宅までたどりついたのだった。
自宅は全壊。そして、瓦礫の下から女房と娘の変わり果てた姿が。。。
「昨日のうちに入っていれたら。。。」
「・・・」
元同僚も何とか慰めの言葉をかけようとするが声にならない。
「貴ありがとう。あとは僕がやる。」
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