1975年4月、僕は厚木市立南毛利中学校(通称:南中)へ入学した。
当時の野球部は市内最弱で、公式戦で最後に勝ったのが4年前。弱いから入部希望者も少なく、3年生が5人、2年生が6人で、なんとか9人揃う位。
この年の1年生からは、僕と加藤敏明(投手)、安西望(主に外野手)、酒田隆二(主に外野手)、黒島博司(内野手)の5人が夏の大会までに残った。夏の大会の地区予選、1回戦は愛川中との対戦。
スタメンは、上級生優先で、僕は外れる。
試合は1−1のまま最終回(7回)へ。
7回表南中の攻撃。一死一・二塁となったところで、監督(顧問の越生先生)が勝負に出る。二塁の代走に僕、代打に黒島を起用。
期待にこたえて、黒島がセンター前にヒット。僕も懸命にホームまで駆け抜け、勝ち越し。
その裏、僕はライトの守りに入るが、二死満塁と攻め立てられ、一打サヨナラのピンチ。
次のバッターの当たりが右中間へ、懸命にジャンプして、なんとかキャッチし、試合終了。
ついに、4年ぶりの公式戦1勝!
翌日の試合は、競合荻野中学に0−13の5回コールド負けだったけど。
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